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「いらっしゃいませー!!」
入り口を入るなり、いちばん奥の正面から声を掛けられた。
無視するわけではないが、まずは場所取り。これ下っ端の基本。
さらっと目だけで見回すと、喫煙席は生憎いっぱいで、諦めた俺は出入り口脇の禁煙席に荷物を置いて、カウンターで朝専用セットを注文した。
小さいテーブル2つをくっ付けて、右に食べ物の乗ったトレイ、左に自前で買った問題集を開きながら、片手で細くて熱いポテトフライを摘む。
上司命令とはいえ、仕事の後にテスト勉強をする羽目になって1ヶ月。とはいえ、大学を卒業して3年が過ぎた今では、すっかり勉強の手順すら忘れた。
それもこれも、労基法? 何それ美味しいの? って程に酷使してくれる会社のお陰サマー。
ついでにいうと今日は日曜日。それなのに、このいかにもビジネスマン・ウーマンが闊歩する場面は異様だ。しかも皆が皆、目の下にクマがあったり、顔は笑っているのに目が死んでいる。
それに対して、自社ビルのテナント枠にあるこの店は、朝から元気に声を張る店員がスマイル0円のサービスをしてくれる。
やっぱり異様だ。
それからどれくらい過ぎたのか、目は活字を追い、頭の中では問題を解きながらチーズバーガーをたいらげた俺は、手に取ったコーヒーが空になっていることに気付いた。
「無い…」
ついでみたいに顔を上げると、店内の顔ぶれは大分変っていて、喫煙席にも空きが出ていた。かといって今更動くのも面倒だし、どうせこの後はフロアを移動してテストを受ける身だ。
もう1杯買ってくるか。
スーツの上着から財布を出そうとして、聴こえてきた曲に耳を傾ける。思えば、ここに入った時からずっと同じバンドだった。
「モーニン、ダーリン頑張るね」
「グーテンモルゲン、ハニー」
「ど下手くそなドイツ語と英語を一緒にするな」
「そっちこそ、誰が貴様のダーリンだと」
1つ年上の同僚は、勝手に俺の前に座ってコーヒーのカップを1つ差し出した。
「差し入れ」
「サンキュ」
入り口側にいながら気がつかないとは、俺の集中力すげー。
「外から食べ終わってるそれ、見えたから」
俺の右側にある、ぐっしゃりと丸めた包み紙を指した。
ここの席は左側が全面ガラス張りで、右側のテーブルの横には、割りと高いバーテーションがある。ちょっとした個室だ。
「なにお前、お泊り組み?」
「んー…もう少しで40時間になる」
げっ! 俺は思わず、心底嫌な顔をした。よくあることだけど、試験だからと抜けている分、少し胃が重くなった。
「♪~yellow submarine~」
寝不足でテンションが高いのか、同僚が鼻歌を歌い始めた。
「なあ、さっきからずっとビートルズばっかりかかってんだ。何でだと思う」
「さあ? リマスター版が出たからじゃないの」
ネイティブに気持ちよく、けれど小さい声で歌いながら、コーヒーを口にして言った。
「納得いかない。うちの会社もここの本部も、資本主義のトップオブザワールドだぞ」
「カーペンターズもいいね。…だからだよ。おまえ、今からFPテスト受けるのにそんな簡単なマーケティングぐらい出来ないわけ?」
問題集を突いて、小馬鹿にしたように口角が上げる。
「! 出来ますぅ、わかりますぅ」
俺はその指を目の前に掴み上げた。
「№1 結果が全て」
睨み合っていた時間は3秒、同僚はふっ、と息を漏らして俺の手から離れると、自分のコーヒーを持って席を立った。
「よくできました。せいぜい頑張って」
「当然合格するし、負ける気しないし」
先に合格している男は目を擦りながらゴミ箱へ足を向け、店を出てガラスの向こうに見えなくなった。
同じ頃、店の中ではすっかり違う曲に変っていた。
「♪~mystery tour~」
追いついたら、目の前で俺の方が上手い、と歌ってやろうと決めた。
